1990年。高校3年生の僕。
街はまだバブルの残り香をまとい、
カラオケボックスのネオンが夜空を染めていた。
レンタルビデオとCDの時代。
プリンス、BOØWY、尾崎豊。
誰もが“夢”と“お金”の両方を手に入れられると信じていた。
でも、我が家はそのどちらも失っていた。
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💣 父のギャンブルで崩壊した家族
夜、親戚がリビングに集まり、深刻な声が響く。
母は「部屋にいなさい」と言ったが、
ドアの向こうの会話は聞こえてきた。
「もう無理じゃ。競馬もパチンコも…」
「何で普通に生活できんかったんじゃ」
父の借金の原因はギャンブルだった。
当たり外れで家の空気が変わる毎日。
当然親戚から援助を申し出る人は誰もいなかった。
母は工場のパートからスナック勤めに職を変え、姉は200万円を父に渡した。
それでも足りず、家は売られた。
引っ越し先の狭いアパートで父は僕に言った。
「大学は無理じゃ。諦めろ」
あの言葉は、
ギターの弦が切れるように僕の心を震わせた。
🎓 大学という幻想
“うちは他の家とは違うんだ”
そう思った。
大学は夢でも希望でもない。
ただの「行かねばならない場所」。
みんなが行くから行く。
学びたいことなんてなかった。
けれど、高卒で働くのは“落伍者”と見なされる時代。
だから僕は決めた。
新聞奨学生になる。
働いて、学費を払いながら生きてやる。
それが、僕なりの反逆だった。
📰 新聞奨学生という仕組み
新聞奨学生とは、
新聞社が運営する「働きながら進学できる制度」だ。
新聞配達や集金、折込作業を行う代わりに、
新聞社が学費と生活費を“立て替える”仕組みになっている。
つまり、親からの援助は一切いらない。
そのかわり、新聞社に対して自分自身が借金を背負う。
奨学金という名のローンだ。
授業が終われば折込チラシを仕分け、
夜中の2時には新聞を積み込み、
凍える夜明けの街をバイクで走る。
それでも、僕には“自分で生きている実感”があった。
誰の金でもなく、自分の力で。
それが、あの頃の僕にとって、精一杯の自己主張だった。
🚬 ディランと煙草と夜のスナックの灯り
母がスナックに出勤すると、
僕は受験勉強を一休みし、
ボブ・ディランの**『Like a Rolling Stone』**を大音量で流した。
“How does it feel? To be on your own…”
どんな気分だい? ひとりぼっちなのは・・・
部屋の照明を落とし、タバコに火をつけた。
カーテン越しに街灯の明かり。
母の香水と煙草の煙が混じった空気。
それが僕の青春の匂いだった。
そのとき、もう“転がる石”としての覚悟はできていた。
🚛 福岡へ ― はじめての独り立ち
大学は福岡。
父が借りたレンタカーに荷物を積み、
父と母と三人で引っ越した。
引っ越しが終わり、二人が帰ったあと、
僕は静まり返った部屋で呟いた。
「やっと隠れずにタバコが吸えるわ」
煙草を吸いながら涙があふれた。
それは自由の味でもあり、孤独の匂いでもあった。
📰 新聞奨学生の現実
販売店が借り上げた古い一軒家に、
数人の奨学生が暮らしていた。
でも、先輩たちは次々に辞めていった。
大学を辞めるわけじゃない。
親に頼って奨学生をやめていくのだ。
僕には帰る場所がなかった。
逃げ道のない夜が、続いていた。
それでも販売店の大人たちはみんな優しかった。
借金を抱えた人、家族と離れた人、夢破れた人。
「けんちゃん、頑張ろうや」と笑うその声に、
なぜか温もりを感じた。
この場所には、血のつながりよりも深い“何か”があった。
🌅 尾崎豊の死
ある早朝。
新聞を積んだトラックが販売店に到着した。
みんなで朝刊を降ろしているとき、
一面の文字が目に飛び込んだ。
『尾崎豊、突然の死。』
僕は凍りついた。
“兄貴を失った”と思った。
夜の校舎を走り抜け、
ガラスを割って叫んでいたあの尾崎が――
もういない。
「この新聞、配りたくねぇな…」
でも配らなきゃいけない。
それが仕事だった。
涙をこらえ、バイクにまたがった。
朝焼けの街で、ディランの声が頭の中で鳴っていた。
“How does it feel… Like a Rolling Stone.”
どんな気分だい? 石のように転がり落ちるのは・・・
💤 決定打 ― 大学というステージからの降板
その数日後、授業中。
徹夜明けの身体は限界だった。
気づけば机に突っ伏して眠っていた。
教授の声で目が覚める。
「みんな、よく見ておけ。
ああいうのが“自律神経失調症”だ。」
教室の空気が凍った。
周りの視線が冷たく突き刺さった。
その瞬間、何かが切れた。
「もう、大学なんてどうでもいい。」
新聞販売店の“あの優しい大人たち”の顔が浮かんだ。
僕は決めた。
辞めよう。あの夜の匂いのする場所で生きていこう。
🎧 今日の一枚:Bob Dylan『Highway 61 Revisited』
夜明けの街を新聞を抱えて走るとき、
ディランの声が胸の奥で鳴る。
“How does it feel?”
“To be without a home…”
どんな気分だい? 帰る家がないってことは・・・
まるで僕自身のテーマソングだった。
ディランと尾崎――
二人の“迷える詩人”が、僕の進路指導の先生だった。

🎬 エンディング
父のギャンブル、母の夜の灯り、尾崎の死。
そして、教授の冷たい声。
同級生の無邪気な笑い声。
それら全部が、
僕を「働く」方へ導いた。
社会のレールからは外れたけれど、
僕には、新聞販売店という“人間の匂い”がある世界が待っていた。
そのとき初めて、
“働く”ことが、生きることの延長にあると気づいた。
・・・だけど、母も父もそれを受け入れなかった。
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